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2015/03/04

余談 1

余談 1の1

海の仕事=男のロマン、というつもりで入学したが、内容を深く知るにつれ、いろいろと想いが変化してきた。
船に乗っている間は、世間の雑事にとらわれず、気ままに過ごせるが、出港して2日もすると、無性に陸が恋しくなること。 女っ気がないのが一番の難点だ。 今では女性も入学し、航海実習にも出て船舶職員の免状を手にしていますが、実際に乗船して勤務される方は少なく、一般の外航貨物船では、トイレ・お風呂の男女共有が出来るはずもなく、居住設備的にも困難な状況です。 男性であっても、給与水準の高い日本人はコスト面からも敬遠されがちで、言語の問題がなければ、外国人船員を雇います。
では、ここで訓練を受けた学生はどうするか?
多くは海運関係会社の陸上勤務を選び、培った知識と経験を効率よく船舶を運航させる業務に就いています。
私も内航の海運会社に入り、毎日海を見て仕事をしましたが、海を見ている職場では、船の操船や運航には関わらない仕事、海が見られないところで船の保守維持管理の仕事と、ちょっと一風変わった経緯で仕事をしていて、たまにですが、船のドック修理などで海を見ながら仕事をすることがありました。 そんな中で、試運転、便乗航海で船に乗ることもありました。

 1986年夏、その機会が訪れました。京浜港から関西に向かう内航貨物船での体験航海である。
一般的な内航貨物船では、総トン数700トン未満の船は、船舶職員の他に見張りの船員を置かなくて良いので、航海担当の甲板部はいれば十分だと言うことから、船長の他、一航士、二航士の3人、機関部は機関長、一機士の2人この5人が最少人員。ただし、これでは機関部の当直の空白帯が出来るためと、食事の賄い人の必要があるため、海員組合と協定して7人が乗船勤務するのが推奨されていた。
しかしながら、内航船の多くを占める499総トン型船では、その多くが海員組合に入っておらず、法律上の最低人員数5名で運行するのが常である。
人件費を最低に削って運行する多くの船が正しいのか、コストが高くても労働環境を整えた船が正しいのか、適正人員を法律で定めていないのが悪いのか、、とは言っても燃料油の高騰で、世の中コスト削減競争の真っ直中。自ずと答えが出て来る。
そんな経済環境の中に、何十隻もの内航船を束ねるオペレーター会社の社船に便乗させてもらうなんて幸運である。それも普通の人から見ると珍しい内航貨物船"扇蓉丸"である。 船の大きさは、長さ70m幅12.5m、699総トンですが、大きな特徴は2枚の鋼製の帆を備えていること。風速15mまでの風に耐えられ、風の力を船の推進力の一部にする省エネ船である。

余談 1の2
 朝、出向に遅れまいと大急ぎで駆けつけると、岸壁には船を覆うように、海に張り出した建屋があり、その中に、前マストの帆と船体がスッポリと収まっていて、船が建物の中に吸い込まれているように見える。この建物は雨の日でも船への貨物の積込が出来るように出来ていて、中には天井クレーンが設置されている(何と素晴らしい)。
予定した鉄のパイプを1千tほど積んで、VHF無線で出港許可をとって、午後3時に出港。 小さな内航船ではパイロット(水先案内人)は乗らないので、 管制を受けながら航走る大型船に併せ、並行して航走、動きがとれなくなるので帆は展帆せずに、慎重に操船して浦賀水道を南下する。 浦賀航路入り口の№1ブイを抜けた時には夕日がまぶしく、夕方の船混みの前に抜けられたので、ホッと一息である。 それでも、航路は行き交う船舶が多く、横切り船にも注意深く対応する必要があった。一息ついたところで、船の食事を戴くため、一旦下に降りる。今航は調理師免許も持った司厨長のSさんが作ってくれるので、豪華で美味しい。 ここから伊豆の爪木崎までは直線で、伊豆大島の北側を回って行く。21時頃伊豆半島の南東の出っ張りである爪木崎を過ぎた時、内航船と外航船の違いをしっかり思い知らされた。 それは、普通 爪木崎の沖合4浬にある御子元島の外側を1~2浬離して航行するのだが、それは外航船の考えで、内航船はその内側を航行する。しかも、海図には浅瀬が2個所航行を妨げるように描かれている。可航幅は1kmに満たない。座礁する船もあるそうだ。 見るとレーダーで距離を測っている。ウソだ!レーダーには誤差があって方位なんか信用できないのに、、 そんなことに構わず、12ノットの速度のまま抜ける。 大王崎までは見るものもなく、風はほぼ正面から吹いているので、帆を展帆することはないままブリッジで一航士と会話をしながら過ごす。二航士との引き継ぎを見守り、寝かさせてもらう。 ずっとブリッジに立ちっぱなしでは、体も疲れるし、心底眠い。シャワーを浴びて寝る頃合いでしょうね。

余談 1の3

4時半過ぎに起き出す。仕事をするわけでなく、ただ体験して、みんなの仕事ぶりを見るのが仕事であるので、顔を洗ってすぐブリッジ(船橋)にあがる。船は既に遠州灘を右にして真西に針路をとっている。 丁度、船長が当直に立っていた。 風は北風で安定してきているので、帆を開くという。機関室に電話連絡を入れ準備する。用意が出来て、電源を入れ、帆を開くスイッチを回すと、30秒ほどで前と後の2枚の帆が開く。 帆の向きは自動で最適値になるはずであるが、自動制御の調子が良くなくて、右に60゜ほど開いたところまで手動で操作し、止めた。 船体は1゜ほど左に傾きつつも、遠州灘を西へ走る。 これで、僅かながらであるが、エンジン出力を下げて省エネ効果を上げる。 この船は、内航貨物船に珍しく、可変ピッチプロペラ(CPP)を備えているので、主機の回転数はそのままで、プロペラの翼角を1゜ほど小さくして、数パーセントの省エネ効果があるそうだ。 船の速度は出力の三乗根に比例するため、3%の省エネでやっと船速が1%早くなる程度。 海が荒れていると船速がすぐに落ち、風波による影響の方が大きくて、数%の省エネ効果が目に見えるような事はまずないのである。
その南風も伊勢湾口に近づくにつれ正面に回って来たので、1時間ほどで、帆を畳んでしまった。見ると伊良胡水道航路は北西風の影響で、少し海面に風のざわついた形跡が見える。神島の沖5浬ほどで航路の入口を横切っていく。 すると風も右舷後方に変わり、もう一度帆を拡げることになった。今度は横一杯に拡げたため、前方の視界は帆の下から覗く海面を見る形となり、えらく視界が悪い。 だが、大きな白い帆の船が走るので、周りからは見られやすく、きっと我々を除けてくれるに違いないと思う。 グーだな。 すると、下から、サムさん食事の用意が出来ましたよと声がかかる。 美味しい食事にありついた。

余談 1の4

08時過ぎに見栄金の大王崎を通過して、13時頃潮岬を前方に見る頃には、またもや風向きが悪くなって、また帆を畳む。この近辺は交通の要所なので、操船余地を残す航法をとっている。 案の定、向からの船と横切り船、追い越し船で見合い関係になった。向こうの針路の内側の狭い水面に針路をとるか、減速するか、と言う判断になりそうになった時、自船のとった航法は何と反転。 大きく左沖へ舵をとり、360°の円を描く。 滅多にとらない航法だが、私が乗っているからでもあるだろうが、一番安全な方向であった。多分これで20分の時間ロスであろう。しかし、「こちらの正当性を主張しても、船をぶつけて沈んでしまったら、元も子もない、損だよ」と一航士の苦笑い。 次港までのスケジュールでは、確かに時間的余裕はある。 おっしゃるとおりである。これが安全第一ということであろう。 実感した。
その後は、斜め前からの風の影響を小さくするため、畳んだ帆の角度を微調整しながら紀伊水道に向けて進む。 日差しはキツイが、快い風に吹かれ、航跡を後に残していく。友ヶ島通過は日が陰った18時半、揚地である大阪堺港には、21時の到着である。 勿論、この船は500総トンを超えているので、夜間入港は出来ず、沖での錨泊となった。 アンカー(錨)を入れて、夜食をつつきながら、ビールで歓談する。翌日も船混みで、接岸のめどはないそうだから、のんびりと出来る。 ところが翌朝、「本社の人が乗っているなら、朝仕事が始まる前に接岸して降ろせ」と、どこからか命令が来たようで、バタバタと無理矢理に空いた岸壁に接岸、下船することになった。 この辺は凄く人情的な配慮である。ひょっとして、ミニVIP待遇? イヤイヤ、きっと煙たい人間は早く外に出せと言うことだろう。事務所で、手厚いおもてなしを受けていると、すぐタクシーが来た。 やはり後者か? (笑。

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コメント

ご無沙汰しております。
すでに御存知かもしれませんが《浪花そば》が復活したようです。
まだ入っていないのでお味はわかりませんが、
すごくキレイになっています。

投稿: にけねこ | 2015/03/10 05時29分

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