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2014/11/24

昔話 112 帰国

明け方にレーダーで野島崎を確認したという話が、朝食で話題となった。 天測も皆ノルマ・精度ともクリアしているし、もう日本沿岸付近なので、意味がなくなった。 東経14×度ぐらいかな?と頭の中で想像してみる。 思わず笑みがこぼれる。
 でも、非常に良くあることだが、練習船では往々にして180゜変針することがある。 予定より早く目的港に着きそうな時にその号令はよく下る。 ひょっとして今回もあるかも? 不安ではあったがそのうち、午前中には浦賀水道に入ると船内放送を聞いて、嬉しくなった。 やっと帰ってきた。 でも、まだ実感が湧かない。 きっと地面を踏みしめていないせいかと思う。雲の多い天気で、何とか左右舷とも陸影が見えるが、右舷のは館山の辺りかな? そして左舷は遠くに大島らしき影、しかしながら富士山は雲の中であった。
午後、動植物検疫、税関検査のための書類の記入等をしているうちに、入港配置の号令がかかる。 直行接岸、、バースを空けておいてくれていたんだ。 そのまま左舷付けで接岸。 舷門のタラップをセットすると、多くの学生がちょっとだけ桟橋を踏みに降りる。帰ってきたという実感を掴むためか? まだ、上陸の許可が下りていないので、船の周りしか動けないのだが、本当は公衆電話ボックスまで行って、誰かに報告したいところである。
多くの学生は免税枠の範囲ギリギリのである。 私は洋酒ボトル3本で、1本余分に税を申告、たばこは吸いすぎたせいか、土産物のカートンに手をつけたくてしょうがない状況。厳しい税関職員の検査を受けるべく身構える。 しかし何のことはない、あっという間に検査が終了。
通関が終わった、と言うことは散歩程度なら付近をうろついて構わないと言うことだ。 そこで、小銭を持って近くの電話に向かう。
「おふくろ、今日本に帰ったで、あさってには遅なるけど帰るわ、、」
「ほうか、元気にやっとるみたいやな、 わかった、待っとるでよ」
母の声が懐かしい。
翌日は下船式。 これで三級の免状に必要な乗船履歴が付いた。
半年間、慣れ親しんだ貸与品の作業衣を返却、大きな荷物は小包で送って荷物を整理するとすっきりした。
下船はしても、遠方の人は途中泊まりになることがあるから、船で寝ていって良いという計らいがあり、私も泊まることにした。
翌日午後、TVの収録を行うことが決まっていて、多くは東京の人たちだが、私のような神戸の学生も混じって、N□△の(米国建国二百年祭に~~)収録番組に参加した。
出演者の中には、K山雄三さん、M昌子さんが出ていて、俺もTVの端っこに映ったぞ!
ただドーランは嫌いだったので、真っ黒で映っているとは思うが、ね。
いただいた出演料は殆どが交通費。 家に帰る片道切符にはなった。
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2014/11/11

昔話 111 セイル格納

日付変更線を超えて、一日カレンダーが進んだ。 日本まで後10日ほどの行程。 カレンダーに予定を入れようかと考えていたが、日付変更線で1日ずれる事を計算に入れていなかった私、よほど抜けているんだろうか? あははは。
午前の課業が終わり、昼食もとったが、気分的には、海上での練習船実習がもうすぐ終わるので、なにやら寂しいやら、不安やらが溜まってきていて、いつもならボンク(寝台)でゴロリと寝るのが日課なのに、この日は奇妙な感覚にとらわれていた。 友人に、「一緒にマストに上がらないか?」と声を掛けた。
当直士官にお願いしたところ、風も3~5m/secで穏やかで問題ないと言うので、登らせてもらった。 一番上のロイヤルヤードまで来て、改めて全周囲を見渡すと、紺碧の深い海と、透き通った真っ青な空が綺麗に映った。 水平線は本当に丸く見える。 地球の大きさを体で実感、角度的には、東京はあの水面の下、この真下の遙かな距離の向こうに、地球の裏側南米があると想像する。 すると船も自分自身もなんと小さな存在かを思い知らされる。 そして、日本まではずっと機走で行くことを聞いているので、この時間がマストから船を、海を、地球を見る見納めと思うと、胸が自然と熱くなってくる。 名残惜しいが、いつまでも感慨に耽っているわけにも行かず、10数分でデッキに降りた。
上での爽やかな風の音と比べると、なんと五月蠅いエンジン音だろうか、ドコドコと足に伝わってくる。都会に戻ったら、このエンジン音も静かに感じるだろうな。
さて、午後の課業が始まったが、内容はセイル降ろし。 9月で下船する大学生と入れ替わりに、10月からは高専の5回生が卒業航海として乗船してくる。 そのため、コンディションの良い帆に張り替えるのだろう。我々はしなかったが、帆の縮帆もするだろうし、ジブ(前帆)とトプスル(下から二つめの横帆)だけのストームセイルでの航海もあるに違いない。、
我々のような温暖な気候・海象ではなく、冬の荒れた海を実習の舞台とする彼らには頭が下がる。一番厳しい冬の時期はハワイ辺りにいるとは思うが、それまでの間、季節風に吹かれ、荒い波を越えていくのだから、想像するだけでも大変だ。 デッキは打ち込む海水が流れ、洗濯なんか出来ない日も続くだろう。 考えただけで、寒くなる。
ヤードから降ろされたセイルはセイルロッカーに格納された。
代わりに取り付けられるのは、ひょっとして、私がこの夏に縫った帆だろうか?

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2014/11/04

滑って転んで膝を擦りむき、リハビリ中

3週間前の事、
調子こいてバイクを飛ばしていた。もうすぐ、パラグライダーの練習場に着くという時、右側の歩道を歩く人の多さにビックリして、ちょっと脇見をしていたら、前の前の車がコンビニに入るために、停車。 気が付いてブレーキを掛けたが、生憎、今のバイクの後輪ブレーキが掛けづらく、前輪だけのブレーキとなった。
付いてない時は重なるマーフィの法則? ブレーキを掛けた場所が、注意と書かれた白線の上。 白い塗装は摩擦係数の小さな路面で前輪がツルリと滑った。
方と膝を少し打ったが、ジーンズの右膝が裂けて膝の擦り傷が目に付く大きな怪我。 膝頭が丸く赤く、すぐその下にも赤い○が出来ていて、まるで民主党のシンボルマークである。 すぐ、スクールの救急手当てで、消毒。 ガーゼを当てて、手当。 ジーンズも針と糸で縫って、何とか修復。
歳は取りたくないもんですね。反応が遅くなっている。 と言うか、脇見運転がいけないんですが。

2週間経って、痛みがあって大事にしていた脚も順調になってきているので、リハビリ開始!
リハビリにはブラジルの「アシェ」というダンスを利用。 動きは良いのだが、膝を思いっきり曲げると傷口が開くので、それだけを飛ばして1時間半ほど汗をかく。
もっと動かさないと、訛ったからだが元に戻らないぞ!
パラグライダーで飛んだけど、アレは余りリハビリに有効な運動とは言えない。

そろそろガーゼ+包帯を止めて、無理矢理絆創膏にしようかな?
傷跡は残るだろうな?
でも、右膝にあった脂肪のかたまりがなくなっているので、コレは怪我の功名と言うべきか?

ま。気をつけて運転しようっと。

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2014/11/01

昔話 110 実務講義

汽船でも、帆船でも、航海当直実務の他に座学がある。 この座学には、大学ではカリキュラム自体ないものばかりで、実際に社会に出て船舶に乗り組む時に必要となることの学習を目的としている。
例えば、大学では「塗装」なんて授業はない。 あまりにも内容が薄いのだろうが、「鉄は錆びるからペンキを塗っておけ」ってな程度。ここでは、「いつ、どこで、何のために、どれをどれだけ塗るのか?」等を細かく教えてくれる。 こういった船舶の保守・維持・点検などの実務については、日郵船やら、MO、川汽、ジャパンなどの大手海運会社に勤務している人が、練習船に出向して乗り込んでいて、教科書には載っていない現実の姿を教えてくれるのだから、即戦力養成講座の様なものである。
実際、車検の様に定期的に検査があり、それに合わせて船の入渠修繕計画があることにはっきりと気づかされた。 普通に考えれば、「船乗りは機関室でプロペラを回し、ブリッジで舵をとって船を操縦する。」であるが、「油にまみれて機械にこびりついた汚れを落とし、錆を落として油を差したりペンキをぬったり、貨物艙の掃除に精を出す。」と言ったことが実に多いことは、余り知られていない実態である。
そんなこんな有り難い講義なのだが、如何せん眠い。
ここは太平洋のど真ん中、機走で船を進めているが、ゆったりとした太平洋のうねりが船を気持ちよく揺らし、クーラーのない第一教室の中の熱気は天窓を開けても逃げていかないので、頭がぼーっとして眠くなる。 事実何人かは(-_-)zzz。
そこに渇が飛ぶ。「ここからは重要なことで、一週間後の試験に出るから、寝ていられないぞ!」
慌てて飛び起きるが、一度付いた寝ぐせは治らない。 10分もしないうちに、ウトウトと、、。試験に通らないと、下船できないと言うのに、こんな状態で良いのかな? もちろん、私のことですが、前日の一夜漬けは必須ですね。

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