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2013/09/25

episode 3 台風一過 1959年9月26日

☆ episode 3 台風一過 1959年9月26日
台風が来ると言われ、学校を早く帰らされた。 雨はないのだが、かなり風が強く、薄ら寒いので、あまり外で遊ぶ気にもならなかった。
すきま風がかなり吹き込み、足元は寒いほど。 もっとも、食事をする場所は、家の中ではあっても、元々は屋外。 二部屋しかない家の東側に、お風呂と台所を増設した場所で、床はセメントで固め、敷居がないので、扉の下は風が通り抜ける。 セメント(モルタル)で固めた床だから、足が水平でなく、いつも北東側の足に厚い板を噛ませていた。
東側から、炊事の流しとお釜があり、テーブル、テーブルとほぼ同じ高さの窓、8畳間の室内と並んでいて、見ようによっては、最新式のキッチンカウンターにも見える。
6時頃食事をして、今の布団に入った。もちろんTVなんかない。 ラジオがカリカリしゃべっているだけ。ふと気が付くと、あちこちから雨音が、ポタン、ポタン!。洗面器や、丼で雨漏りをうける。 外はゴーゴーと唸る風、北側の雨戸を叔父が釘で打ち付けて、風で飛ばされないように雨の中を作業している。 そのうち、裸電球も切れて、停電状態になった。
北の窓を少し開け、雨戸の隙間から外を見ると街は真っ暗で、時々懐中電灯の明かりがよぎっている。 まだ、相変わらず外は強風の音がする。

そして台風が通り抜けたのは土曜の夜。夜が明けると、爽やかな風が町中を吹き抜け、細々したものが総て洗い流されている。なんか精気の抜けた街になっている。
我が家の南側は、隣の土地が屋根の高さまでの畑になっていたので、風は総て屋根の上を通過。 小さな我が家は、こうして台風を乗り切った。私は寝ていただけだけどね。
外に遊びに出てみると、役場付近の田圃では、稲刈りが終わったところを鯉や鮒などが泳ぎ回っている。 河口では大変だったという天白川も、この辺りでは、決壊もなく、ただただ、水があふれているだけでした。
大人達は、忙しく何かを片づけていましたが、私は鼻を ほじっているだけ。 誰も構ってくれず、なんとまぁつまらない日曜日だったことか。
翌月曜日、小学校へ行ってみると、一番東側の木造校舎が南側に、5゚以上傾いていて、
今にも倒壊しそう。
伊勢湾台風は、こんな風にして、我が街を抜けていきました。

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昔話 91 ロードアイランド

4月の東京出港時には、次港はニューヨークであったが、いつの間にかもう一つ寄港地が増えていた。新しい寄港地はニューポート(ダジャレじゃないんですけどね)
そもそも、ロードアイランド州という名前は覚えていなかった。私の地理学もこんな程度で、慌ててチャートで調べた。ニューヨークのマンハッタン島から東へ200㎞ほど細長くのびているロングアイランドの、そのまた東側にある州で、南側は広い湾になっている。
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日付は7月になった木曜日の早朝、朝霧を縫って水路に入っていくと、回りは豪華クルーザーから小さなヨットまで、まるで波間に羽を休めるかもめのようにゴッソリと浮かんでいる。その数、百を遙かに超えているので、ホント数え切れない。 アメリカ人て、こんな平日の朝からヨットを繰り出して遊んでいるなんて、ヨットを持っていること自体が貧富の差を感じさせる。
こりゃ、戦争に負けるわけだ。 我々とはお金の使い方も量も違う。
とりあえず船はアンカーを落とし、停泊する。 大抵は、ブリッジに行って海図を睨み、どんな場所に錨を入れたか確認するのだが、回りのヨットの多さに気を奪われ、 他船との間隔を空けて浅瀬に、、、なんてこの状況ではもう無理。 他の船が避けてくれってな状態。
午後上陸させてくれるというが、 何処が岸壁かはっきりしないし、どうせそこまでまた端艇を漕ぐのかと考えると上陸時間も少なくなるよなと、思ってウンザリしていたら、連絡があり、ボートの送迎があるそうだ。
昼食をとり、喜び勇んでデッキに列ぶ。
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デッキから見えるボートの位置が何やらおかしい。 普通なら、海面上1mちょいの所のデッキに降りるのだが、相手ボートの乗り込み位置は4m程の高さがある。 そして、乗り込んだらすぐ下のデッキに降りろと言うので、階段を下っていくと、回りは鉄板の壁。 まるで、大きなケーキ箱の中に入った感じで、見上げるとブリッジで操船する軍服姿が見える。 横も、前も、後も窓が無く、船が出発しても、船の揺れと空が動くのを感じるだけ。
うおぉーっ、これは上陸用舟艇じゃないのか? 戦車が1台載っかるスペースはある。 前方が鉄板なのは、敵の弾よけ! だから視界が悪くて当たり前なんだ。
でも、航海士としては、メチャクチャ不満だ。 どっちに向かって航走しているか判らないじゃないかネェ。
たった、4時間の上陸であったが、先に来て接岸していた英国の"サー・ウィンストン・チャーチル"号の近くで、地元の女の子達と久しぶりの会話、限られた時間で、ちょっとした話でも嬉しいですね。バッチリ写真には写ってきましたョ。
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2013/09/17

三連休、三連昼食が外

さぁ、連休のスタート。
まずは、息子のところへドライブ、、、しかし、連休の初日だから凄い渋滞となっている。
大人しく、高速を使って渋滞を我慢すればいいものを、急ぐ旅ではないと言うことで、下を走る。 しかし、キッチリ渋滞にはまって厚木を抜けるのに1時間以上かかってしまった。
息子のところに寄ってPick Up。目当ての昼食はありついたのは、1時を少し回ってしまった。
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魚河岸丸天(卸団地店)の三色丼、わいわい丼、丸天丼とかき揚げを注文。丼は評判通りの美味しさであるが、かき揚げは外側が少し堅すぎて、ちょっと参ったな。612

2時過ぎに店を出て、高速に乗り、兄のいる実家まで車を転がす。1時間ほど、息子に運転を代わって貰ったら、楽ちん楽ちん。
5時過ぎには着いたので、まずはビール! そしてそのまま、夜は当然の宴会。=^_^=
翌15日は田原市での花火大会の予定。
父母の眠るお墓に行ってお参りした後、ワクワクしながら、国道1号線を兄夫婦の車と2台で走る。途中から23号線へ、凄く走りやすい道路に変わってる。
途中、昼食をとることにした。 沿道で引き込まれたうどんの文字。 店に入る前から私は決めていたが、久しぶりに「味噌煮込みうどん」をなんと全員で注文。 辛みもほどほどで、美味しかったわぃ。609

田原に着いたら、買い物が控えている。 今回の主目的であるお米(義弟の作った玄米)を一年分4俵車に積み、田原の美味しい定番の「あさりせんべい」をこってり、ビールを買って、そして、お米の精米。 これはご近所さんに配るため。
後は、花火を見ながら、酒を飲むだけと決め込んでいたが、なんと、台風が来るからと、花火の打ち上げは16日に順延。 見られないかと思うとメチャクチャガッカリである。 ただ、手筒花火はやるというので、その花火を見に行った。
意外に意外に、これが圧巻。10m以上の高さに舞い上がる火の粉をかぶりながら、20秒ほど耐える。そして最後にボンと爆ぜて終わるのだが、1回に5~6人が同時に火を付け、それが何十回も続く。上半身裸で火の粉を直にかぶる奴もいる。すげえぜ。131


さて、その夜は、兄夫婦、妹夫婦と私たち、子供も入れての宴会!
ワインも焼酎も一升瓶単位で空いた!
台風がいつ来るかとドキドキしながらも、睡眠。 翌朝、8時前に近くに上陸したそうだ。 途端に風も衰えてきた。
11時には来年は花火を見るぞと思いつつ、妹宅を離れた。
東名高速の由比は高波のため通行止めとなっているので、新東名にのった。
景色は綺麗だが、トンネルも多く、風景の変化が少なめの殺風景な山間を走るので、つまらないですね。
お腹の空きをみて、静岡のS.A.で食事をすることにした。 一風堂のラーメン屋がテナントで入っており、限定品の白豚骨スープのワサビラーメンにした。
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ワサビをおろしたものが、入っているが、ハッキリ言って、スープにワサビが負けてしまっている。 結局は予想通りの味で、がっかりだわな。 期待した私が悪かったわ。
三日間続けて、お昼を外食。1・2日目は正解の味だったが、3日目はしくじった。
息子をアパートで降ろして、自宅に帰ったのは5時過ぎ、お米や荷物を降ろしたら、6時近くになった。
ほんとは別の予定もあったが、台風一過を走り抜けてきた疲労が、、、、歳やなぁ。

今回の買い出し、兄弟会の行程にはもう一つ意味があった。
それは、娘の銅メダルを見せびらかすと言う、親の自慢、イッヒッヒッッヒ~。

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2013/09/07

恐るべし、ハイブリッド車を試乗す。

今日は体を休めつつ、最近、巷で賑わうハイブリッドなるものを試乗しようと言うことで、家内と示し合わせて、1時半に店に行くことにしていた。

12時に熱心な営業マンから電話がかかってきたので、そんなに言うのなら、試乗しましょう。「1時半頃伺います」と言い、さも、電話で誘い出されたように答えた。
ちょっと店の場所を勘違いして間違えたが、別の系列店で聞いて10分遅れで到着。
私は大型を持っているので、大抵の車は問題なく運転できる。そこで、私はバックシートに座り、普段乗っている家内に試乗させた。
後から見ている分には、静かにスタートするし、なかなかスムースな走り、フムフムフム。
店に戻って、値段を聞いてみると、

えらく高い! 高い値。
ハイブリッド=ハイプライスと来たもんだ。
普通のオプション付けてこの値段では、、、、買えるものじゃない。
難色を示したら、
「今日は営業部長が来ているので、」と...
奥で相談していたが、、部長が出てきて、提示金額がずいぶんと下がってきた。
「そうだ、冬のスタッドレスタイヤも買わなくちゃならないや」

それも付けてこの値段で、、
と言うので、最後は根負け?
簡単に試乗なんてするものじゃないですね。

最後は口車に乗ったのかな?

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2013/09/02

浅草サンバカーニバル2013

朝9時集合と言うことで早起きしたが、7時過ぎに出かけようとして、何か忘れているような気がしている。チェックリストは作っていないが、忘れ物は無いか? チェックに入る。
今日の衣装、出かける時に必要なもの、パレード中の出来事の想像、、
冷凍庫に入れた水1Lの容器(実は清酒のパック)も取り出した。
行くまでの音楽、スペアの乾電池、本、定期、携帯、カメラ、タオル2枚、着替えのシャツ2枚、ズボン、インシュロック、カッター。 もう歳だから、ほんとチェックリストがいるわい。
家を出ても、何か忘れているようで不安。とりあえず衣装は全部チェックして、金を持って行けばOKだろう、、、。
さて、まずは横浜からはJRで新橋へ、金曜日は京急にトラブルがあったので、余裕を見て楽より確実を選んだ。新橋からは、地下鉄で浅草まで、、降りたら、後からOさんがついてきた。
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先日も会合の場所が判らなくて、ウロウロしていたのにばったり出会ったが、今回も集合場所が判らないという。私も場所の位置は確認しているが、初めての場所なので、一緒に行くことに。ほどなく発見。荷物を置いた後は、アレゴリア(山車)の最終組立の手伝いに、浅草寺の裏(北)に行く。112


ほどよい時間で、産業貿易会館に移って、衣装の最終チェック。足りないものがあると困るからね。 で、かぶり物衣装の下は、暑いので、素肌にしようと思っていたが、白シャツ指定と言うことで、コンビニに買いに行くことにした。昨日白シャツ指定のメールを出したそうだが、メーリングリストから私の名がなく、、送信漏れ、、怒るぞ!
コンビニに買いに行った後、ふと見ると韓国料理店、暑い時はホットな料理で汗を出し、元気を付けるぞと入る。 速攻でユッケジャンを頼んだ。 熱々の器で出てきて、見ると沸騰もしている。ご飯も熱い。 スープをすすると、辛い刺激が頭とお腹に心地よい。ご飯をぶち込んで、ごちゃ混ぜにした。 食べ進んで行くうちにあることに気が付いた。ユッケ(肉)が見あたらない。 川崎の焼肉店で食べたユッケジャンは大きな肉のかたまりが2切れほどは入っていたので、文句を言おうと考えた。タダ、韓国語では「ユッケがオプソョ!」と言うのか、「ユッケぎオプソョ!」と考え込んでいるうちに、薄く小さな肉らしきものに当たった。あ~あ憎らしや、文句が言えんわぃ。
そして、帰ってみると、私の衣装が本番前なのに一部汚されていた。 う、汚れる運命にあるとはいえ、記念撮影前だから、注意して欲しいよな。

食事後に、近くの公園で振り付けの最終確認。 今日初めて練習する人もいるので、覚えて貰うのも苦労ですね。 途中で、曲の演奏がとぎれたので、私が歌う羽目にもなった。
一番覚えているのが私だから、、、
本番まで後2時間。
コンビニで氷を買って、かぶり物の背負子内に縛り付けた。
1時間前には完全スタンバイ、記念撮影も行い、段々テンションが上がっていく。
スタンバイ場所から、スタート地点へ移動すると、心臓はバクバク言い始めている。
4車線を使い、整列していると、沿道は黒山の人だかりが判る。去年よりも遙かに多い。 その内に、バテリア(楽器隊)の演奏が始まった。 テンションは一気に最高潮。
40分のパレードが長い、暑い、熱い。途中で水分補給しながら、踊りまくる。 今年はダンサーとしてハンプティダンプティのかぶり物をかぶっての出演です。
審査員席の前では、目一杯歌う。 (あ、なぎら健一発見、小野リサさんもいるはずですが、判らない)
ゴール地点で、アクエリアスを一本貰うが、すぐ空になる。
「浅草が終わった。」と言う感慨がでた。
そこから産貿の控え室までは、後続の露出度の高い衣装のウサギ部隊をエスコートしながら歩いていく。 変な酔客に絡まれないようにね。
シャツは汗でベットリと重いので、一度水で絞ってからタオル代わりにして体を拭く。
着替えた後もまだ汗が出てくる。

仕上げは、場所を変えての打ち上げ!222

途中で、サンバコンテストの結果を聞く。
5位だって? みんなガックリと来ていた。
優勝を夢見ていたので、テンション下がるな、、、
気を取り直して、来年に向かっていこうと気勢を上げたが、飲みは今一だったなぁ。

帰りの足取りは、しっかりとしていた=飲む元気が少なかったのだな。
また、次に向かって頑張ろう!

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2013/09/01

episode 2 漏洩問題 1957年XX月XX日

episode 2 漏洩問題 1957年XX月XX日
長野から愛知県に戻って日進という町に移り住んだ。 戦前に住んでいた蟹江ではなく、名古屋の東隣に位置する場所を何故選んだかはよく判らない。 ただ、日進の中の地名に蟹○○○という場所があって、それに惹かれたのか? 確かに我が家では甲殻類が好きなわけだが、、。
名古屋に近いというのに、その頃、父は東京方面へ出稼ぎに行っていた。 向こうの方が仕事が多いのかも知れない。 残った母は、日銭を稼ぐため豆腐屋を始めた。 周り近所に豆腐屋がなかったせいか、徐々に軌道に載っていったようだ。 当然子供は商売の時邪魔、母は乳離れもしない妹を背負う。 兄は毎朝、弟を連れて家を出て、小学校のすぐ手前の保育園に私を預けて登校していました。
ある日のこと、腹の具合が悪かったのか、どうか判りませんが、お尻がもぞもぞしてきて、、もう持たないと判ってからも、シャイな性格?でなかなか言えないで今したが、とうとう先生に 我慢できないと訴えました。 そしてトイレに向かったのですが、その前にパンツの中に噴出してしまった! 子供だからと言っても、恥ずかしい記憶です。
当然、ズボンにも糞は浸透し、保育園にあったパンツとスカートを穿いて帰りました。つまり、女装したんだよね。(笑
そういえば、あの時の汚れたパンツとズボン、確か軽く洗って、手で持って帰ったような記憶があるけど、どうしたんだっけな? 1㎞の道のり、トボトボと歩いた記憶はあるけど、どう持っていたかは判らない。

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